万病に効くお灸療法 2医博 原志免太郎先生2019年11月12日読了時間: 43分更新日:2020年8月14日第一章 緒言 今を去る30年前、ふと悩み出した人生問題に宗教の比較研究を思い立ち、とどのつまりは日蓮主義の願業たる娑婆即寂光シャバソクジャッコウ-此の世を極楽世界に改造する-の教義に人生の光明と安心とを見いだし、医学最終の目的は疾病の治療よりも、病根の消滅にありと確信するに至った。 この信念の啓発は、実に恩師田中智学先生の教恩に基づくところでまた故高山樗牛チョギュウ博士の遺稿に鞭撻ベンタツされた点も少なくない。即ち京都在学中、同志を糾合して「日蓮聖人研究会」を団結し、満天下の青年に檄文を飛ばして、日蓮研究の必要を説いた壮年の意気は、今も尚炎々として胸奥に燃えている。 日蓮主義の理想-信念-事業たる娑婆即寂光の真世界は、断断呼として病魔の横行を許容しない。どうしたら病根を絶って、人生を楽しむことが出来るか。その方法を案出するには、あまりにも自分の知恵が貧弱である。 しかしながら、現代の医学は形而上の精神問題には無頓着であり、また無信念である。道義地を払い、人情紙よりも薄き、生存競争激甚の世の中に、個人開業を許した現代制度に於いて、医師のみに仁術を強ゆることは片手落ちのそしりを免れない。 元来医薬業を、個人の経営に委したと言うことが不合理である。国民の健康はよろしく国家が負担すべきものである。近年、甲論乙駁 議論紛紛たる医薬分業の如き医薬国営となった暁に実施さるべきもので、今日の現状のまま、医薬分業の制度に改廃されたならば、弊害百出、国民の迷惑不幸は幾ばくであろう。 さりながら、理想と実際とは、そう容易く一致するものではない。今や人間の知恵は陸を征服し、海を征服し、最も難中の至難とされた空をも征服した。居ながらにして千万里を隔てた世界の声を聞き、現在の世の様を幾百千年後再現して視覚に訴えることも可能となった。然るに、病気にだけは知恵でも、金でも、権勢でも、どうにも出来ないで、その為すがままに横暴を振る舞はしめている。これが残念でなくてなんとしよう吾が医学界には、生き神様とも仰がるべき大学者が研究室に蟠踞して、若き学徒を指導し、神秘の扉は一枚一枚に剥がれている。しかしながら病魔の巣窟は、今に尚覆されずにいる。 関東大震災の翌年、感ずるところあり、臨床医家たりし著者は、匙を投げて青年学徒へと若返り、ある種の研究へ没頭するうち、天なるかな、命たるかな 従来最も没交渉、しかも、最も嫌悪しつつありし、灸法の研究に専念するべく運命づけられ、ここに端なくも、多年の素願たりし、健康増進、病根絶滅、の秘鍵とも申すべき灸法が、路傍に違却されていることを発見した。 こういうと気の早い人はなんだお灸にそんな偉い力があるものかと怪しみ疑うだろう。著者すらかつては灸法の無価値を信じ、野蛮法と笑った時代-そう遠い昔でもない-があるのだから、無理もないと思う しかしながら、「あき安の好き安」の日本に於いて、栄枯盛衰はともかく、千三百年の永年月、連綿として流行したという事は、注目すべき現象で、殊に今日その科学的研究によって、医学的価値が闡明された以上、もはや、西洋かぶれの医師も兜を脱いで、自らの体験を積み、進みては病人にも応用して然るべきものと思う。 第二章 灸療歴史編 第一節 灸法の渡来 欽明天皇の23年(壬午みずのえうま)秋8月、呉人の知聡氏が薬書明堂図等160巻を持って来朝した。=日本紀元1222年、支那陳文帝、天嘉3年、西暦562年に当たる。=これが外国医書の日本に輸入された始めで、おそらくこの時代針灸術は我が国に渡来したものと推定される。 灸法は文字が日本の文献に現れ始めたのは、実に奈良朝以後であって、平安朝、鎌倉時代、室町時代、織豊時代、徳川時代、等の各時代を通じ、本邦治療界の重鎮として枢要の位置を占めていたことが首肯せられるのみならず、医師の必修科目の一つであったことをも見逃してはならない いづれの時代でも異論は免れないものと見えて、一方に灸の偉効を認定される他面に於いては、その有害論が唱えられたものである これは今日灸法の科学的研究の立場からも承認を得られるところで、その用法を誤れば、無効は愚かなこと、確かに有害に作用するのである。善悪不離の道理で世の中に善だけのものもなければ、また 悪だけのものもない 日蓮上人は「悪人いよいよ頼みあり」と唱え、悪人を善人に妙化してこそ教法の真価値はあるものぞと道破された。灸法の場合でも同じ事、灸の有害を知悉して、用法の機微を自得すれば、毒薬変じて薬となるの妙味を体験しうるのである。何事も議論に終わっては宝の持ち腐れに了わる。古来医学者の必修科目たりし灸法が徳川の末期、明治の初年西洋文明の輸入勃興と共に野蛮視し、将又ハタマタ旧法呼ばわりを敢えてし、唾棄し去って顧みるものなきに至ったのは、今にして思えば、西洋心酔者の一大失策と断じねばならぬ。往古の医学に灸法科の存置されていたことは、文献の示す所で、今更穿鑿の要を見ない。推称する側では、灸法を用いなければ良医に非ずとさえ唱えられて居るほどだ。織豊時代ショクホウジダイには曲直瀬道三マナセドウサン氏によって鍼灸集要、秘灸一巻、指南鍼灸集、等の著書が発表され、徳川中世には後藤艮山氏出て、その一門により大いに灸術の普及が企図された。如斯カクノゴトク一面に於いて灸法は医人によりて諸病の治療法に応用されてきたが、他面に於いては民間療法の随一として、全国津々浦々に広布されたものである。戦国時代、戦場に於いて負傷した時は、将卒自ら灸治を加え、旅立ちする時には、艾モグサ線香は必需品の一つとして必ず携帯された。 「灸をすえない者と道連れになるな。」という俚諺リゲンの残っているのは、当時灸の効果が一般的に認められていた何よりの証拠という斗バカり、いかに古人が健康に注意したかが伺ウカガわれて床ユカしい。なお、灸はひとり大人に用ひられたばかりでなく、小児にも施術されていたことが肯かれる。 日蓮聖人の御遺文に小児にヤイトを加うれば、必ず父母をあだむ。(開目鈔上)一子の重病 灸せざるべしや。 (開目鈔上)灸をして病を癒やすがごとく。(異体同心事) 我ら現にはこの大難に値とも後生は仏になりなん。設は灸治のごと、当時はいたけれども後の薬なればいたくていたからず。(聖人御難事) などという文句が引用されているところにより考察すると、当時灸法がいかに的確な治療法の雄であったかが想像される。これらの新考証は灸法が癰ヨウ疔チョウ瘰癧ルイレキ等の外科的領域以外の内科小児科方面の治療に応用されてきたことを裏書きするものである。 更に這般シャハンの消息は単に引用例としてでなく、檀信徒ダンシントに向って灸治を継続せよと積極的に推奨された文言によって明らかである。富木入道殿が母堂の遺骨を携えて身延山に登り、恩師日蓮聖人に謁して、臨終の模様を語り、女房ながらその懇篤コントクなる看護ぶりを感謝し、看病疲れのためその後病床にあることなどつぶさに言上された。これを聞召されて遣ツわされた消息文は簡単ながら慇懃インギンを極め、情理を尽くされたもので、日蓮聖人の慈愛の片鱗が躍如ヤクジョとしている。 箭ノハシルコトハ弓ノチカラ、雲ノユクコトハ龍ノチカラ、男ノシワザハ女ノチカラナリ、イマ富木殿ノコレヘ御ワタリアル事尼御前ノ御力ナリ。ケブリヲミレバ火ヲミル、雨ヲミレバリュウヲミル。オトコヲミレバ女ヲミル。今富木殿ニ見参ツカマツレバ尼ゴゼン ヲミタテ マツルトオボウ。富木殿ノ御物ガタリ候ハ此母ノナゲキノナカニ臨終ノヨクヲワセシト、尼ガヨクアタリ カンビヤフセシ事ノウレシサ、イツノ世ニ忘ルベシトモヲボエズ、トヨロコバレ候ナリ。ナニヨリモヲボツカナキ事ハ御所労ナリ。カマエテサモト三年ハジメノゴトクに灸治セサセ給ヘ。(下略)(富木尼御前へ) 実践躬行ジッセンキュウコウの偉人日蓮聖祖の事だから、おそらくご自身にも灸のご経験があったことと拝察される。それは兎も角として「小児に灸治を加わふ。」「一子の重病」「灸治をして病を癒やす。」「御所労」云々の文句は、外科的疾患と考えるよりも、内科の病気と了解されるお言葉である。して見ると、医師が手を下したものか、民間で行ったものかそこは判然しないけれど、鎌倉時代に外科は勿論、小児科内科方面の治療術として優秀の医方であったことだけは争はれない。 灸法の黄金時代は何といっても徳川時代である。この時は単に艾で皮膚を灼く方法以外に上餅灸法、硫黄灸法、隔蒜灸法等数種の変法が案出されているが、これは果たして進歩か退歩か科学的批判を待って決定されるべき未来の問題である。 第二節 日本の灸法海外へ伝へらる。 日本の灸法は延宝元年、(皇紀2333年西暦1673年)我が長崎に来朝したオランダの医家リーネ氏によつて遠く西洋の天地へ伝えられ、その翌年にはビショップ氏の記述がある。而して皇紀2349年 =元禄2年=(西暦1689年)にはフランスのジャン、クラーゼ氏の撰述にかかる日本西教史にやや詳細に紹介されている。 医師ハ病者ニ問フコトナク、タダ半時バカリ脉診シテ、脉動ト病ノ経過ニヨリテ病原ヲ判ズ云々。熱病ニハ小サキ鋭利ナル金針ヲ病者ニ六カ所以上刺入シコレヲ治療スルナリ。大病ニハ病者ノ皮膚ニ十カ所以上モ灸スルコトアリ、小ニシテ燃エヤスキ乾艾ヲ丸メ、コレニ火を点ズ。燃エ終オワリテ灰トナリコレヲ除クトキハ、焼キシ所 墨痕ヲショウズルヲ見ル云々。 次で其翌年(元禄三年)来朝したドイツの医家、ケンフェル氏の著書中にも灸の記載が載せられ「もぐさ」の和名と共に、我が灸法は広く西洋にもしらるる様になったが、皮膚に火傷の瘢痕を残すことを忌み嫌う西洋人に実施することは不可能であったらしい。 ところで、日本の灸に類似した、灼け火箸療法といふものが一千五六百年前、西洋に存在していたことが発見された。其ソノ絵画は 英国博物館に現存しているという話で、医者が灼け火箸を以て婦人の胸部に灸点のような工合グアイに施術している状況は、いかにも、灸法の起源と同根で火傷の原因を異にするものではないかと推想される。 火傷をさせるのに灼け火箸を用ひるのと、艾を用ひるのとの優劣は興味ある問題である。皮膚を焼くといふことは同一であるが、火傷後の感覚は全然違ふ。タバコの火でも焼け火箸でも、これによる火傷は後が意地悪く痛くてとても耐へきれないが、𦫿灸に因ヨる火傷は、後がさっぱりして幾火灼いても全く苦痛を残さない。火傷という結果は同一でも、お灸に艾を用ひだした古人の尊い経験は、優に博士論文をも構成すべき一大発見である。第三節 灸法衰運の原因。 旭日昇天の勢いで全国を風靡フウビし、流行の歴史としても千数百年の永き歳月を閲ケミし外国にさえ喧伝さるるに至った灸法が、鎖国の鍵が解けて、一時に流れ込むが如く西洋の文化が輸入さる頃、即ち明治維新前後、にわかに其の影をひそめ出して、ついには民間療法の一隅に押し込められ、日本の医学者から排斥されたのはまだしも、嘲笑さえ買うに至った奇しき運命は、一体どういう訳か。其の理由として二つの原因を挙げることが出来る。 其の一は「新を愛好する日本人の弱点 =他面には長所だが= に乗じ西洋文化に心酔したため。」 其の二は「荒削りのまま踏襲された灸法の科学的価値が全く埋没されていたため」 古来外国の文化は、日本に集中して、多くは日本化され、茲ココに新しき真価値を発揮して来たものだが、明治初年における西洋文化の洪水は、一時に食傷して、正しき消化力を喪失した感がある。これが為め三千年来鍛へに錬へた日本固有の文明を破壊したものがいくらもある。本邦医学界から漢方と灸法とを弊履ヘイリの如く捨て去った態度の如きは正に其の一である。精神的文明に於いて日本は西洋に一歩も譲らないのみならず、西洋人の夢想だもなし能はざる世界的宝庫を護持し来たつたが、科学的文明に於いては西洋は確かに百年の長を有っておった。=今日ではほとんど其の遜色を見ない様になつたが=かのジャンクラゼ氏等によって西洋に伝えられた我が灸法の如きも、科学的文明の眼からは何らの価値おも認めず、却って一種の野蛮風習として、好奇の目でおもしろ半分に伝述されたものに相違ない。其ソノ証拠には、この偉大なる効果を蔵する灸法が、本家本元の科学的文化の西洋に渡りながら、毫コウも科学的研究が加へられていないではないか。 第四節 灸法の科学的研究。灸法の医学的価値が西洋人によって研究されないで、輓近バンキン日本人によって、本当の其の真価を科学的に立証し得たことは、日本の国光上、将又、東洋医学の面目上、何よりの幸いであった。 而も、明治初年、日本の医学者から捨て去られた灸法が、明治聖世の最後のページに於いて、再び科学的研究の新武装を加へて、復活の曙光を見るに至ったことは、殆んど神畴シンチュウとも申すべき妙因縁である。著者は之を、明治天皇御盛徳の余慶だと呼びたい。 最初に灸法の科学的研究業績を発表した人は三浦謹之助博士門下の逸材、樫田十次郎及び原田重雄両氏であった。その貴重なる文献は皇紀二千五百七十二年=明治四十五年=(西暦1912年)東京医学会雑誌 第二十六巻第十二号に「灸治について」と題し、詳細なる項目に亘ワタって発表されている。猶ナオ同年一月には、中外医事新報第763号に後藤道雄氏によって、「ヘッド氏帯と我が国古来の鍼灸術について」と題する論文が公表されている。 次いで、越智真逸氏は、皇紀二千五百七十八年=大正七年十一月=京都医学会雑誌第十五巻第五号「灸治が腎臓機能殊に利尿に及ぼす影響について。」研究を発表し、同十二年発行の「最新生理学」には「灸治」の一項が設けられた。 次に時枝薫氏は「灸の実験的研究」第一代第二代第三報告を、日本薬物学雑誌第二巻第一号及び日本微生物学雑誌第二十巻第十四、第十六号に(皇紀二千五百八十六年=大正十五年=)青地正皓氏は「灸の血球並びに血清に及ぼす影響(附)灸の本態に就いて」を日新医学第十七年第五号(皇紀二千五百八十七年=昭和2年10月=)に発表された。 同年九月、著者は「灸の血色素量並びに赤血球数に及ぼす影響、灸の研究第一報」を医事新聞一二一九号に発表し、皇紀二千五百八十九年=昭和四年二月、五月=には「施灸皮膚の組織学的研究、灸の研究第二報」「火傷及火傷家兎血清の血液に及ぼす影響、灸の研究第三報」「灸を施せる結核動物の治癒傾向に就いて、灸の研究第四報」を福岡医科大学雑誌第二十二巻第二、第五号に発表し、同年末には、著者の研究を骨子として、諸学者によって闡明された灸法の科学的研究業績を、総合論述した単行本を出版した。題して「灸法の医学的研究」(春秋出版)といふ。而して、該書の中に「慢性膀胱加答兒の灸治療法、灸の研究第五報」を発表した。これは動物実験の域を脱した、人体における臨床記録である。 爾後ジゴ、灸法の研究業績は他の医学研究に比して、指を屈するに過ぎないけれど、昭和五年三月= 皇紀二千五百九十三年=愛知医大大沼内科教室の太田俊二氏は「灸の皮下組織球性細胞に及ぼす影響に就いて。」有益な新知見を、日本微生物学、病理学雑誌第二十四巻四号に報告され、同年五月京大法医学教室の瀧野憲照氏は「火傷の血清カリウム及びカルシウム含有量に及ぼす影響に関する実験的研究(第一回報告)施灸の血清に及ぼす影響に関する知見補違」を神経学雑誌第三十一巻第九号に発表された。 なほ、昭和六年十一月= 皇紀二千五百九十一年=には、黒住久氏の「同種及び異種の臓器乳剤並びに牛乳の非経口的移入が骨系統の発育並びに食餌性骨病のっせいに及ぼす影響、附、灸法の之に関する。実験的研究。」が、大阪医学会誌第三十巻第十二号に発表された。 如上の研究により、灸法の科学的価値は、歳を逐うて増大し、光飾されていく感がある。人類福祉の上より、ますますこの種の研究が盛んになることを希望せざるを得ぬ。伝聞する所によれば、京大石川生理教室に於いて、灸治効原理の本質的研究が、駒井一雄氏らによって企図されて居るそうだから、早晩その研究業績が発表されることと思う。 第五節 著者の研究因縁物語 現代医学の寵児たる著者が、どうして旧法として退けられつつあつた お灸の研究を始めた乎カ。その奇クしき因縁物語を詳説しよう。おたぶんに漏れず、著者もお灸といえば、身ぶるひしたいほど嫌ひであった。熱いからではない。その方法が、常識的に判断して、いかにも不合理極まる野蛮法だからである。 烙白金といって白熱した金属で、病巣を焼き取る治療法は、今日でも皮黴科方面で盛んに使われている。或いは電気焼灼などの方法もある。 ところで、お灸は健康な皮膚をむざむざ焼くのである。何という馬鹿げた無残な方法だろう。焼く人も、焼かれる人も、その気が知れなかった。日本の恥辱とさえ考えていた。 的確な根拠を持たないので、矢面に立って反対こそしなかったが、心に指弾し、陰に陽に排撃の気勢を示していたものだ。「お灸をすゑてよろしうございませうか」と尋ねる人があると、即座に何の容赦もなく「およしなさい」と禁圧していたものだ。這カういふ偏屈固陋ヘンクツコロウ =今から考えると= の著者が、今はその第一線に立って、灸法の宣伝をやつて居るのだから、自分ながら有為転変の世の中だなーと感心する。しかし、自分では変節とも、豹変とも考へない。願業の延長だと確信している。 願業とは他でもない。地球上から疾病を無くなさうとする途方もない事業である。 どんなに世が進歩しても、人間の身体は弱くはなつても、病気はなくなるものではないと諭ヲシえてくれる人もある。しかし自分は、日蓮聖人を信ずるがゆゑに、其人の言をどうしても信ずることが出来ない。信じはしないが、自ら無病の世界を造る方法を発明しようなどといふ誓願を起こしたことは一度もなかった。それは自分の力量才覚を余りに知って居たからである。 大医学者となる素質が無いならば、臨床医家として、憐れむべき病者の良友となり、疾苦を救い取り、尚その余力を以て、日蓮聖人が「病によりて道心も起こり候」と仰せられた、病中心理を啓発して、健康國土、無病世界を造る、同信同行を求め、願業の貫徹をはかろうと決心して、二十有余年近くずいぶんと苦労を重ねた。 大正十三年帝都に於ける病院経営を放擲し、更生の意気込みを以て九大宮入衛生教室に入り、かねがねの志望に任せて、当時=今もだが=吾が医学界からは全然認められて居ない酸素注射=大島濤兎トウト氏の創案にして、宮入博士の賛意を表せられたるもの=の研究を思い立った。これが、後日、灸法の新研究に転入する遠因となろうとはチト受け取りにくい話だが一部始終を語れば、誰でも成程と合点のゆく一大奇縁である。酸素研究の第一プランは、注射部の組織学的検索であった。しかも其の第一着手に於いて、灸法研究の端緒が開かれた。それは自分の発意でなく、実に宮入教授の声がかりだったのだ。 酸素注射を施した皮膚の組織標本(甲)の対照として、剃毛皮膚の組織標本(乙)を作る必要が起こった。該標本(乙)に於ける白血球の活躍が、あまりにも鮮やかだったので、宮入先生の頭に、灸の刺激如何という疑問が湧いたらしい。顕微鏡を覗きながら、施灸皮膚の組織標本を作るべく慫慂ショウヨウ(勧められる)された。 標本は旬日の後出来た。併シカし酸素研究には直接の必要はないのだから、其儘ソノママに蔵シマっておいた。 一年の歳月は瞬く間に流れた。第一次の基礎的研究が完了して、第二次の研究に進むべく準備中、怪火は吾教室を舐めつくして、一年有半の研究業績は、其記録と共に跡片もなく鳥有ウイウに帰せしめられた。そのどさくさの中に、宮入教授は定年制とやらで勇退され、新教授大平得三博士を迎えることになった。教室焼亡、残品の整理 ! 火の番 ! 落ち着きのない仮教室では、勉強も手につかぬ有様で、茲ココに従来の方針を転換して、曾ての記憶を辿タドり、施灸後の血液学的研究を試み、図ハカらずも、白血球、赤血球及血色素量の上に思い設けざる変化を発見し、素志を翻ヒルガヘして宮入、大平両教授指導の下に専心灸法のの研究に没頭することとなり、意外にも灸療の医治的効果を闡明センメイ(はっきり明確に)し得たのである。 因みに、酸素研究は前述の如く、中途で挫折し、宮入名誉教授に対しては、相済まぬことと、後日の機会を期していたところ、頃日ケイジツ右の縁故を辿タドって「オゾーン」注射の研究を持ち込まれた。或アルイは、天の使命かともかとも心得ー僭越センエツながらー慎重に細密に臨床実験を重ねて居る。追って酸素以上の興味のある成績を発表し得るやも知れぬ。ー別論にゆずるー 第三章 灸療新道編 第一節 灸療と経穴と自家蛋白体療法。お灸といへばツボがすぐ頭に響くほど密接の関係にあることは、今更呶々ドドを要しないところである。お灸から経穴を抜トり去れば古来の灸法は、殆ど其ソノ意義を喪ふに至る。 ところで今日経穴の研究としては、後藤道雄博士のヘッド氏皮膚過敏体の最高点に一致するといふ研究の外、深く闡明センメイされて居らない。而も同氏の研究によれば、ガーゼ二、三枚を折り重ねて灸をするものと、皮膚を直接焼く灸と、其ソノ作用の上に区別がないことになっているから、後藤氏の結論としては、無根灸を以て、艾灸に優れりと推奨されて居る。尤モットも千萬の言い方である。然るに灸の血液に及ぼす影響、其他の医学的研究の成績より判断を下す時は、皮膚を焼くということが、絶対必要条件となる。現代医学の言葉を以ていい表すならば、自家蛋白体療法ー刺激療法ーに相当する。即ち灸療新道と名づくる所以ユエンである。 第二節 偉大なる血液の変化総論。灸を据スゑると血液成分の上に一大変化が起きる。その変化が人類の保健上、将又、万病克服上一大恩恵をもたらすのである。 ご承知のように血液は肉眼で見ただけでは、真っ赤な液体で、有形成分がありそふにも思われないが、これを顕微鏡にかけてつぶさに検べてみると、赤血球と名づくる小さな圓い球と白血球という稍大きな球と血小板と名づくる塵ゴミの様な微粒と血漿といふ微黄色の液体から構成されて居る。血漿または血清と繊維素に分けることが出来るから、血液の構成を表示するとこうなる。 赤血球 =血色素を含有す= 血液 白血球 =五種類を区別す= 血小板 血漿 =血清= =繊維素= 血球の発見は皇紀二千三百二十一年=西暦1661年マルピーギ氏に依って成されたものである。 今艾を以て人体皮膚に灸を施すと施灸時日の長短によって大小の差異は有るが、血球及び血清の性質に重要な変化が起こってくる。早きは十数分後遅きは数週間後目新しい一大動員令が下る。今主要なる変化を列挙してみると、1、白血球の数が増加する。2、白血球の喰菌力が強くなる=調理素の増量=3、赤血球の数が増加する。4、血色素が増量する。5、赤血球の沈降速度が速くなる。6、血小板が増加する。7、血液の凝固性がたかまる。8、血糖量が増加する。9、血液中のカルチウムが増量する。10、血清中の補体量が増加する。11、免疫体の産生機能が増進する。 現今科学的研究によって確実に闡明センメイ立証された血液学上の変化は、ざっとこんなものである。 第三節 偉大なる血液の変化各論。1、白血球数 及び喰菌作用の増加。 白血球はこれを軍隊に譬タトえるならば、兵隊のようなものである。外敵例えば黴バイ菌と肉弾戦を開始して捕殺する役目を擔任タンニンして居る。人体何れかの組織に黴菌の侵害を受けると、その部を流れておる血管には敏活に白血球の集団が行われ、次いで血管壁から自力で脱出し、敵陣に向って勇敢に突進する。而して白血球自己の体内に捕獲して食ひ殺してしまふ。強力の白血球は数十個の黴菌を空虚なきまでに満喫しているのを見うくる事がある。彼の誰にも経験のある。膿汁は、実は金鴲勲章の恩賞にも値すべき武勲かくかくたる白血球の戦死体なのである。汚らしいなどと無造作に投げ棄てては罰が当たる。 元来、白血球は人間の血液の一ミリの中に6~7千個を算するのが、生理的とされて居るが、灸を据えるとその直後に増加しはじめ、施灸後8時間で最多数に達し、満24時間は高価を保ち、第三日目より多少減少するも、尚 四、五日間は多少の増加を持続するものである。即ち平均二倍内外の増数を証明する。殊に毎日連続して6週間も灸を施す時は、施灸を中止しても、尚13週間に亘って白血球の増多を継続するものである。 殊に灸を据ゑた人の白血球は、その上に喰菌作用が旺盛になる。例へばチフス菌についての実験によれば、施灸十五分後に既に喰菌力が増強し、施灸後二、三日目に最高にたつし、その後は漸次減少するも、約一週間は平常の力より強くなっている。殊に連続して施灸する場合は、強くなった力を、永く持続することが出来るのである。この白血球の喰菌力の強くなるのは、実際の話は白血球自らが強くなるのではなくして、血清中の調理素の増量に起因するのであるから、この変化は血清の條下ジョウカに述べるべきものだが、理解し易からしむる為、爰ココに略説することにした。ちょうど我々は美味しい料理だと、たくさんのご飯が食べられるやうに、血清中の調理素オプソニン増量の結果、白血球が多数の黴菌を食う様になるのである。強い兵隊さん=白血球=の頭数が多ければ戦争は勝つに決まっている。つねづね灸を据えておくことの保健上にも、療病上にも、有益なことは、これだけでも理解出来よう。 白血球の種類は生理的に五通りに区別することが出来る。兵隊でいえば 歩兵、騎兵、砲兵、工兵、看護兵等を包容するやうに、中性多核白血球、淋巴リンパ細胞(淋巴球ともいふ)、エオジン嗜好細胞、塩基性嗜好細胞、大単核細胞、(移行型もふくむ)等に区別するものである。灸を据ゑる時、どの白血球が増加するかを精細に調べて見ると、主として中性多核白血球及淋巴細胞の増数が行はれるもので、其の他の白血球には多少の移動は認められ得るも、取り立てて、いふほどの変化ではない。 この変化を今すこし詳しく述べてみると、第一回の施灸後迅速に増加するものは、中性多核白血球で、リンパ細胞は却って減少の傾向を示すものである。ところが24時間後には、一度増加した中性多核白血球は、おもむろに減り、減少していたリンパ細胞は増数し始める。而シカして二日、三日、十日 6週間と毎日施灸を反復連続する場合には、灸痕の化膿せざるかぎり、白血球増数の原因は、永く中性多核白血球に加ふるに、増数せるリンパ細胞が参与するものである。 如上の何事を物語るか。言ふまでもなく、施灸治に於ける白血球の増加が、単純の皮膚炎症に対する反応でない事を立証するものでなければならない。 白血球増多症の場合、その主因が中性多核白血球の著しき増加に基因する時は、体のどこかに炎症もしくは化膿創をつくっている証拠となる。而シカシしてこれは果たして良いことか、また悪いことかと穿鑿センサクしてみるに、例えば肺結核の場合、その著名なる増加は、病症憎悪もしくは予後不良を示す一徴候とされて居る。ところが肺結核の際は、リンパ細胞増多症を示す時は、その初期または経過良好を表示する佳兆といわれている。 この立場から考えるに、施灸時、リンパ細胞増多が白血球増多症の主因に参与する事実は、灸を結核治療に用いることの無意味でないことを物語るものである。著者の結核動物の施灸実験及び人体応用は立派にその有効を立証している。 次に考えさせられるのは、急性伝染病例えば腸チフスの場合である。腸チフスはチフス菌による腸の炎症に相違ないのであるが、この時には不思議にも、白血球減少症を起こす。 即ち本賞に対して白血球の増多を起こさしむる灸療法の応用は、どんな影響を与えるか、興味ある未来の問題である。しかしながら、なにさまチフスは高熱を発する伝染病のこと故、灸法の応用には慎重の用意をすること萬々である。むやみに手を降ろしてとんでもない悪影響を来さないとは限るまい。が、しかし、法にかなへば、病勢を頓挫せしめ、もしくは経過を短縮せしむるべく予想されるのである。殊に施灸によりエオジン嗜好細胞増加の傾向を示す点より推考すれば、腸チフスの如く、エオジン嗜好細胞を欠如する病症に対し、一応灸法を試みてみることも、あながち無益な技ではあるまい。最近著者はこの予想の的中した、一実験を持っている。尚静岡県の桜井戸の灸と称し、灸が面疔に対して、偉効を奏する由ヨシ、世間の評判だか、白血球の増多症を起こしたり、その喰菌力を増強したりする、灸の免疫作用等より推理して、必ずしも荒唐無稽の説ではないと信ずる。こういう意味から灸法の応用はなはだ広いが、茲ココには一二例を示すに止める。2、赤血球数 及び血色素量の増加。 1日や2日灸を据えたからとて赤血球には何らの影響を与えない。従って血色素量にも変化がない。だから、灸は赤血球及び血色素量には何等の影響を及ぼさないと断定した学者がいる。 ところが、6週間以上適量に灸を連続して施行すると、赤血球及び血色素量に著名な増加を起こすものである。而シカもその増加はかなり永く永続する。例えば6週間毎日施灸を永続すると、その間はあまり変化を見ないが、中止してから毎日毎日少しだけ増加して、第8週目に最も多くなり、これが、約7週間続き、その後漸次減少して灸前の価値(数値)に戻るのは第22週間目(約五ヶ月余)だから、大凡オオヨソ半年近く増血を続ける訳ワケとなる。 これを数字で現してみる。例えば施灸開始直前、血色素量の平均数が78 %だったものが、連続6週間の施灸を満了してから、第1週目で86 % 第5週目で84% 第6週目で88 % 第7週目に89.5% 第8週目に90%(最高価)にまで増量し、その後約7週間はほぼ同様の%を保持し、第十六週以後比較的急激に減量して、施灸前の平均価に復帰するのは実に第二十二週目である。 この血色素量の増加は、赤血球数の増多に基因するものであって、人体血液の1㎜/l中50万から100万個=100万個以上に達するものもある。=の増加見る。 是等の変化は人体実験でも、動物実験でも全く同一の成績を上げている。灸法愛用者の血色の良い理由や、栄養の良い原理は、これで完全に説明がつけられる。 又、古来灸は灼く時よりも、幾日かの灸を畢オワつて、後の効果が顕アラハれるといふ伝説の虚妄でない証明を得たわけだ。 3、附、「灸」の文字の科学的解釈。 「灸キュウ」という文字は「久」の下に「火」と書いてある。この字の組み立ては「きう」の熱さの形容から出来て居ないのは、一度でも灸の経験ある人の首肯する所である。昔から懲罰としての体刑に「お灸を据えるぞ」と脅す。だから、灸といえば余程熱いものの様に子供の時分から、恐れおののかされてゐるが実際やつてみると、さう熱いものではない。熱いには熱いが、ほんの瞬間の辛抱で、熱っと堪えた時には、もはや燃え終わって、艾が灰に化つた後である。して見ると「久」しからざる「火」である。即ち「急」に通ずるもので「急」いで焼ける「火」である。それでは「灸」の文字はの解釈は該当しない。 そこで、自分は灸の赤血球数及び血色素量に及ぼす作用より詮攻センコウして「灸」の字は「久」ヒサしく「火」ヤケといふ文字だと新解釈を下した。 永く灼かなければ、赤血球や血色素は増加しない。この増血現象を確認するには、少なくとも六週間の以上の連続施灸を必要とする。お灸の真の効果を挙ぐるには根気よく続けなければだめである。三日坊主で「灸」が利かぬなどと相場を決めるのは「灸」の文字の科学的語源を忘れた失意者の譫言うわごとだとご承知願いたい。4、 血液凝固時間の短縮。 血液は血管外に溢出すると凝固する性質を持って居る。外傷時、小血管の出血は、自然に止まるものだ。これは誰しも経験のあるところで、血液のこの特性があればこそ生命の保続が全ふされるのである。ところで、灸を据えると血液のこの特性が高まる。換言すれば、血液の凝固時間が短縮される。これはどういうことを意味するかといふに、血管外に出た血液は血漿中の繊維素源フィブリノーゲンが析出して繊維素フィブリンとなりこれが細状にからみ合って、血球を寒天状に凝固せしむるもので、血小板はその凝固作用を促進するものである。 這うコウいふ灸の作用からその応用面を考究してみると、灸は出血素質の人には無論よろしく、外科的手術を要する場合には、その前準備として灸療を加えておくと、後出血の予防になり、赤血球や白血球のの変化と合わせ考ふれば、治療を促し、又第二次的創傷伝染病を防ぐ手段にも役立つものである。 尚、脳出血の予防は勿論、喀血や、腸出血等の予防若しくは治療に応用が出来る訳である。5、血清に有益なる変化を生ず。 施灸の血清に及ぼす影響は実に眼覚ましききものがある。例えば正常溶血素、正常凝集素、正常沈降素、アンチトリプシン等には、概して影響を認めないが、補体量、調理素オプソニン(白血球の条下に既述)及び免疫体産生能力には著明の好影響を與アタふるものである。即スナワち単に施灸しただけでは、動物の血清中には他の動物の赤血球を溶解する溶血素も、黴菌バイキンを凝集する凝集素も、蛋白を沈凝せしむる沈降素も増加しないが一度動物を他動物の赤血球または黴菌或いは他動物の蛋白を以て免疫させた後、若しくは黴菌を以てする免疫注射と同時に灸を施す時は、免疫動物に施灸したもの(甲)と施灸しないもの(乙)との間には、溶血素も凝集素も沈降素もその価値に著しき差異を生じるのである。 例えばチフス菌に免役させた家兎ウサギについての比較では、施灸動物(甲)の血清が施灸しない動物(乙)の血清に比して3.4倍凝集価が高まって居る。更に興味ある問題は、免疫を完了して、その免疫価値即ち凝集価が下降地に臨む時、灸を加えると、第四日目より漸次増進し、多くは、約二週間後最高価を示すものである。反之コレニハンシ、対照即ち施灸しない免疫動物においてはそのままに漸次下降して零になる。以上の実験事実から灸の問題を考察して見ると、非常におもしろい実際問題に触れてくる。 吾々は何百年中黴菌と同居している。イヤだと思ってもこればかりは避けることの出来ない人生の運命である。従って呱々ココの産声を挙げると共に、空気中の黴菌を吸ひ、乳房にくっついた黴菌を呑むため、嬰児の胎便が無菌であるのは、ホンの束の間で、短時間の後大腸菌と同居しなければならなくなるのだ。 世の中の人はひどく黴菌を恐れるけれど、矢鱈ヤタラに怖がるにも当たるまい。黴菌とても、人生上無くてはならぬ一大要素であるかも知れない。法華経の哲理から推して勘がへると、世の中には、一微塵ミジンといへども、無用のものはないはずである。現代の医学はこの人生の一要素と考えられる黴菌を、無くなさうなさうと焦って、却って病気を煽り立てて居るような観がある。医学は長足の進歩を遂げ、百年前と比べて隔世の観があるにも拘らずカカワラズ、病人は反比例に増加し人間は段々弱くなつて行くやうな奇現象を呈して居る。これは黴菌を滅ぼさうとする、無駄な努力が禍しているとも考へられぬことはない。 だといって、黴菌の中にころがつて、黴菌の団子になるような馬鹿な真似マネをしてはならない。黴菌から免れよう免れようとつとめても黴菌は天地間に瀰漫して居るのだから、所詮遁ノガれきることは、金輪際不可能である。だから何事よりも、大切なことはいかなる黴菌にも打ち勝つだけの体力を造って置くことが、保健衛生の先決条件と断じなければならぬ。 そこで先刻から説明した。灸が物を言う。 黴菌の団子にならぬ限り、いくら何でも、黴菌が人体内に侵入するのは、用心堅固ならばホンの僅少なものに相違ない。黴菌が這入って来れば、まず血液内の白血球に大動員令が下って、其活躍が始まる。リンパ腺の関所で保留する。而シカして、身体内の重要器官に危害を加へる能力を阻止して居る間に、血清中に免疫体を構成して無毒化し了オワれば、毒薬変じて薬になるやうに、黴菌は一種の生活素に同化されて、煩悩即菩提ボンノウソクボダイといつたやうな塩梅アンバイに、人生の光を添ゆることになるのではないかと思う。5、血糖量及血清かるちゆうむ量増加す。 施灸後血液中の葡萄糖や、かるちゆうむ量が増加するとの実験成績は、非常に興味のある大発見である。 衰弱甚だしき重病患者にブドウ糖の注射は、今日では欠かすことの出来ぬ、枢要所置の一つとなつている。また、かるちゆうむ注射が、結核患者または神経痛等の場合に実用せられて居ることも広く一般に知れ渡った事実である。 お灸が人生保健上又は治療上に応用せられて良い多分の理由が、ここからも想像せらるるではないか。第四節 施灸は局所免疫機能を更新す。人類は触向対面黴菌と同居しているので 何時其襲撃を蒙るのか、全く予測を許さないのである。黴菌侵入の門戸は呼吸器及び消化器及び皮膚である。従って外敵の乗ずる機会は非常に多いものと覚悟して居なければならぬ。皮下組織球性細胞は全身皮膚に配置されて居るから、黴菌の襲来と共に第一線に立って、直ちに其の活動を開始するものである。 ところが、施灸した皮膚下の組織球性細胞はその直下のみならず、遠隔の地点まで、その喰菌作用が亢進するとの実験が報告された。 黴菌を覆滅する工夫よりも、侵害をを防ぐ機能を強めることが上分別なのである第五節 施灸は管状骨の 発育を催しアシドーシスを抑制する。 同種及び異種蛋白、例えば骨髄、脾臓、肝臓、腎臓の乳剤又は牛乳を注射すると家兎カトの管状骨の発育を催進し、且つ、蔗糖摂取によって起こる血液の「アシドーシス」=恐るべき酸毒症=を抑制する。 ところが、点灸は、全く同一の作用を発揮するのみならず、断然優越せる成績を示すとの報告が顕れた。 人物写真を見て、いつも感ずることだが日本人の身長が外国人に比し、甚だしく見劣りするのは、そう感心したお国自慢にもなるまい。 無制限に身長を伸ばす必要は、無用のことではあるが日本国民は今少し骨格の改良が必要ではあるまいか。 この立論から本研究は非常に力強き確信を与える。即ち一代二代と施灸を奨励実行して行つたら、理想的身長にまで、同胞国民の体質改善が完成されることと信ずるものである。第四章 灸療 結核編 第一節 弔い合戦を起こせ。 世界を見渡すに、人生を毒する黴菌バイキン中の巨頭と目されるものは、今を去る五十年前、独逸ドイツのコッホ氏によつて発見された結核菌である。 これが為、貴重な人命を奪わるるものが、毎年毎年吾が同胞だけでも110000人を越えて居る。日露戦争に於ける満蒙の天地に屍を曝した生霊が100000だといふから、それ以上の犠牲者が、毎年毎年支払われて居る勘定になる。 ことに結核病は経過がすこぶる長い為め、一家族中一人の患者が出来たら、その治療や予防の為め莫大な費用が嵩カサんで少々の蓄財だけでは一家の経済は忽タチマちにして破滅に瀕する。況イワンやその日暮らしの家庭に於オいては、たちどころに行き詰まってあぢきなき悲劇の第1頁ページが開かれる訳だ。 実に結核問題は全人類を通じての一大緊急問題で、これを防止する方法が発見されたら、無間地獄の道が塞フサがれて、世界の幸福の大半が取り返されたも同様だと信ずる。人類の敵 ! 結核の撲滅は、我ら同胞の弔い合戦としても、企てられなければならぬ。新薬又は最新薬、新注射薬又は最新注射薬 ! ! は新装をこらして、世界の市場を賑わし、治療界の新福音として、次から次へと発表されつつあるが、いづれも、相当の価格が支払わねばならず、且つ二年三年五年十年と長期間の療養を必要とする、結核病に対しては、一般民衆に取りて、断然負担に堪へないであろう。 ここに於てか、プロレタリア医学の勃興を要望する、その天の声に比すべき民衆の要求に応じて一石を投じたものが、科学的新武装を加えて、世に出現した、灸療新道である。 乍併シカシナガラ、理論だけ、効能書きだけでは、医師としては、余りに無責任である。全人類を動かして結核の征服を貫徹するには、何事を措オいても、まづ科学的実験を経て、真理の前に医学者をひざまづかせなければならぬ。 第二節 結核動物の予備実験。 著者の結核動物に対する、施灸実験は。如上の理由によって約二カ年を費して、本問題解決のために企てられた。実験の正否は、余の関知するところではない。タダ目的とする所は、虚心坦懐、只管タダヒタスラ、灸の結核に対する効果の有無を決定すれば足るのである。 始めの一年間は、少数の海猽カイメイ(モルモット)を使って、果たして灸が結核に対して有効に作用するや否やを見るべく、予備実験を行つた。結核菌の純粋培養を以て、結核に感染せしめた海猽カイメイ(モルモット)=満二ヶ月経過せる=に灸を据ゑエ始めたのが、 昭和2年1月22日 ! 腰部の脊椎骨の両側に九点7壮ず宛ヅヅ、毎週一回米粒大の艾モグサで灼いた。 この実験は体重の消長と一般状態の観察及び血色素(ヘモグロビン)量の測定に止めたもので、詳細の検査を為ナす遑イトマがなかつたけれど、後本式の大仕掛けの研究を思い立たせるだけの成績を挙げ得た。例えば施灸の初め、体重が725瓦グラムあった第一号海猽カイメイ(モルモット)は1瓩キログラムを突破し(施灸開始約四ヶ月後)、第二号海猽カイメイ(モルモット)は 初め615瓦グラムあつたものが760瓦グラム(同上)迄発育した。 血色素量にしても、両頭とも80%のものが、いづれも100%に達した。其他一般状態は非常に良好で屡々シバシバ分娩し、子孫が繁栄した。元来、実験には妊娠は絶対に避けしむべき筈のものだが、予備試験という意味から、中途雄獣と雑居させた為、とんだ失敗を招いたものの、怪我の功名で、この不良の環境に於いてですら、成功に近い了成績を挙げ得たのである。結核動物施灸予備實験第一号海猽カイメイ(モルモット) 結核感染後 施灸開始 壮数毎週一回 体重 血色素量 ピルケ氏 二ヶ月目 七点7壮 725瓦g %結核反応陽性 二ヶ月半 施灸開始後 279 825 82 二週間 三ヶ月 五週間 378 815 76 四ヶ月 八週間 567 965 ---- 五ヶ月 十二週間 882 1005 90 六ヶ月 十七週間 1071 970 93 七ヶ月二十一週間 1396 880 98右鼠径腺種大左索状ヺ呈ス 八ヶ月二十五週間 1575 830 90 九ヶ月二十九週間 1764 600 94仔を三頭産ム 十ヶ月三十二週間 2082 725 ----鼠径腺縮小ス 十一ヶ月三十六週間 2412 740 ---- 満1カ年三十九週間 3825 830 80 一年一ヶ月四十三週間 3960 810 100 ピルケ氏反応強陽性 一年二ヶ月 満1カ年 4095 875 ----- 一年三ヶ月 1年一ヶ月 4176 880 ----- 発育可良仔二頭ヺ懐妊ス結核動物施灸予備實験 第二号海猽カイメイ(モルモット)結核感染後施灸開始 壮数 毎週一体重615瓦g 血色素量 ピルケ氏二ヶ月目回9点7壮 %結核反応陽性 二ヶ月半 施灸開始後 279 壮 715瓦g 72 二週間 三ヶ月 五週間 378 壮 695 瓦g 80 四ヶ月 八週間 567 壮 755 瓦g ---- 五ヶ月 十三週間 882 壮 730 瓦g 91 六ヶ月 十七週間 1005 壮 755 瓦g 90 七ヶ月 二十一週間 1396 壮 690 瓦g 100右鼠径腺種大左索状ヺ呈ス 八ヶ月 二十五週間 1575 壮 695 瓦g 90 九ヶ月 二十九週間 1764 壮 740 瓦g 96 十ヶ月 三十二週間 2082 壮 610 瓦g ---仔を二頭産ム 十一ヶ月 三十六週間 2412 壮 615 瓦g ---右鼠径腺縮小ス 満1カ年三十九週間 3825 壮 630 瓦g 88 一年一ヶ月四十三週間 3960 壮 530 瓦g --- 、 本表に明らかなる如く、両獣共施灸開始後、体重の増加は著しきもので殊に第一号の如きは、三ヶ月後には1瓩キロといふ、海猽カイメイとしては、たぐいまれな数字を示して居る。これは灸が結核に対して有効に作用したことを暗示するもので、血色素の増量は諸般の消息を説明するに充分だと思ふ。両試獣共、結核感染満一年余、(施灸開始後満一年前後)で斃死ヘイシしたが解剖の結果は両動物が確実に結核菌に抵抗した、勇ましい古戦場の跡を証明し得たのである。 立派に結核に感染して居りながら、1年以上も生きるということが、すでに奇跡である。而シカもそれが偶然でなく、合理的の変化を認識し得うることは、非常の強みでなければならぬ。 第二号海猽カイメイ(モルモット)の左肺には雀卵大の空洞が生じて居た。その肺の表面は非常に厚い結締組織で胸郭に堅く癒着して居た。而シカしてその内容には乾酪変性をした、白色の物質で一杯満たされて居た。反之コレニハンシ右肺は比較的変化少なく、割断面に小空洞の二、三個を認むるのみで、半ば以上尚健康な肺組織を残存していた。殊に第一号海猽カイメイ(モルモット)如きは両肺其の他の臓器も結核変化軽症にして、結締織化即ち治療像を確認し得るのである。第一号が第二号に比し格段の発育をした理由も、之によってよく説明される。タダ両頭共妊娠は確実に不良の影響を与えて居ることを、体重の消長によつて伺い知ることが出来る。結核患者に避妊若しくは人工的流産(妊娠中絶)を必要とする理由も会得される。第三節 結核の海猽カイメイ(モルモット)百頭を使用せる本実験総論。 灸を据えると、白血球数が増し、且つその喰菌力が強くなる。加之シカモ、施灸が長期間に亘ると赤血球数や血色素量が増加して、全身組織の新陳代謝が旺盛になることや、血液中葡萄糖が増量し、おまけに黴菌に対する免疫性がたかまる等の諸作用を総合して、結核に対する有効さが予想さるるので、果たして理論と実際とが、一致するや否やを実験した予備試験が、前記の様に上成績を示したので約百頭の海猽カイメイ(モルモット)をつかって一カ年計劃ケイカクで、およそ独力でなし得る範囲に於て、各方面より研究の歩を進めた。まづ体重300瓦グラム前後のモルモットに対し、ピルケ氏結い核反応を検査して、陰性即ち結核に罹っていないことを確め、これを4列に分かち、第一列と第四列に施灸を開始し各同数の対照動物には、何らの処置を加へないで、満一ヶ月の後、第二列第三列と共に、同日中に結核に感染させた。 本感染に使った結核菌は、人工的に培養した菌でなく、膀胱結核患者の尿沈渣にょうちんさを海猽カイメイつまりモルモットに注射して結核に感染せしめ、更に、この海猽カイメイつまりモルモットより次々の海猽カイメイに感染させ、第三代目モルモットの鼠径腺(未だ化膿しない新鮮のもの)を滅菌した乳鉢で摩り潰して、生理的食塩水で希釈し、二枚の消毒ガーゼで濾過して、その一滴(0.01CC)を海猽カイメイの後肢の内股部皮下に注入し、ヨウドコロジウムを塗布して、結核菌の漏出を防いだ。かくして、 第一列の海猽カイメイ(モルモット)は満一ヶ月間施灸し、結核感染後も施灸を継続した。 第二列は結核感染約三週間後施灸を開始す。 第三列は結核感染約十週間後施灸を開始す。 第四列は、第一列とともに満一か月間施灸し、結核感染後ぴたりと施灸を中止した。以上、灸の結核に対する四通りの実験的研究を断行した。 実験の結果は上首尾だった。結核感染前から施灸を開始した。第一列実験が一等良い成績を示したのは勿論モチロンである。結核感染後第二十日目に施灸を開始した、第二列実験も前者(第一列実験)に劣らぬ好成績を示した。これは結核初期に灸を用ゆれば、確実に治療せしめ得る予想を与へた訳で、結核患者の一大福音だと信ずる。結核感染後、第67日目に施灸を開始した、第三列実験はもはや初期結核を通り過ぎて、内臓(肺、脾、肝等)に結核病変を起こし始めた時期だったから、其の成績は、第一列第二列の比ではないが、しかも尚対象動物に加えて、お話にならぬほど、良好の治癒傾向を示していた。結核第二期以後の患者も大いに意を強うして可なりと思ふ。 第四列実験は、施灸が結核に対し、予防的に作用するや否や、を見るために、試みた実験である。完全に結核から免れることは、不可能であったとは言へ、確かに結核に抵抗したことは、明らかである。少なくとも、対照に比し約二ヶ月の寿命を延べて居る。即ち本実験と、第一列実験とを総合して勘がふれば、灸は結核の予防にも、有効なりと断言して憚ハバカらないのである。 第四節 結核の海猽モルモット百頭を使用せる本実験各論。本実験中に調査した。試獣及対照獣の体重、体温、感染局所の変化、リンパ腺の反応、脾腫の有無、血液及び諸臓器の肉眼的並びに顕微鏡的所見を検討して見ると、よく前記の成績に一致して居る。 1、体重の比較。第一列及第四列対照獣を凌駕し、殊に結核感染反応熱を発する頃(第三週前後)各列試験獣及び対照獣共、体重の増加は一時停頓もしくは低下するに拘カカワらず、第四列は其の影響を蒙カウムること甚だ僅少である。。併シカし第一列試験獣の体重増加は、長く継続されるに反し、第四列は追々停頓し、遂には衰弱斃死するに至ものである。第二列及び第三列試獣は、初め其の対照獣の体重と略合い伯仲ハクチュウ、若モシくは、却って其の増加率は劣れるのであるが、施灸開始と共に、徐オモムロに恢復し、優勢の位置に置き換へられる。但し第三列は第二列に比し、多少の時日を要するものである。 第二列実験 第一列実験 甲乙試獣 乙 甲 乙 甲 434 437 320 319 1 平均数 g (1) 385 394 338 394 2 平均数 g (2) 49増 43増 18増 75増 3 平均数 g (3) 522 585 492 596 4 平均数 g (4) 88増 148増 154増 202増 5 平均数 g (5) 第二列実験。結核感染日までは 第一列実験。初め試験獣1は施灸開始時の体重対照獣の体重増加率は試獣より旺と対照獣との体重の比例は盛だったが施灸開始後、試験獣は始めと相伯仲して居たが、2は結核観戦時の体重遥に対照獣の体重を凌駕セリ。施灸開始後試獣の体重は対照を凌ぎ、結核感染日より3は施灸開始日より屠殺日に至るまで、常に同結核感染日までの体重率を以て優勢を保つなり。増加率4は結核感染時より屠殺日までの体重増加率5は結核感染日より屠殺日までの体重増加率。 第四列実験 第三列実験 乙 甲 乙 甲 346 343 515 517 379 403 395 424 33増 60増 120増 93増 593 最大697 599 616 414 544 84増 99増 第3列実験。施灸開始日までは対照獣の方が試獣より発育可良だったがその後は反対の現象を示して居る。 第四列実験。施灸開始日には両獣の体重は略ぼ同一率のものであったが、その後斃死に至るまで、常に試験獣の優勢にして、平均二か月弱、長命セリ。 2、体温の比較。健康な海猽カイメイ(モルモット)の体温は、摂氏38度(平均)である。而シカして結核感染後の反応熱は、感染第三週後で、其の以前はほとんど異常がない。即スナハち2週間を過ぎてから、急劇に39度前後に上昇し、第3週頃から最高熱を発し、40度を超えるものがある。 如斯カクノゴトク、他の伝染病に比べて、反応熱発が遅い理由は、結核菌の発育が緩慢で、2、3週間を要する、其生物学的性質に因ヨるものであろう。 これ等発熱の状況は、各例とも同一で試験獣、及対照獣に区別を認め無いが、約1週間の反応熱発 持続期間を過ぎると、対照獣のほうが、試験獣即ち灸をすえた動物よりも概して高熱を示すものである。 右の実験より、灸は結核症に対し、多少解熱の佐用あるものと判断することが出来る。又第二列実験の如く、施灸開始の時期が、反応熱の最高潮期に相当していたに拘わらず、悪影響を及ぼさず、所期の目的を達した所より想像すると慎重の注意を以て、施灸数を謬アヤマらなければ、結核治療の上に充分の効果を認め得るものと思う。 3、感染局所の比較。 結核菌を注入した内股部には後日皮膚潰瘍を生ずる。これは該部の淋巴腺が乾酪変成を起こして破壊するためであつて、最も早きものは、感染第三週後、最もオク遅るるものは第二十週後である。全実験を通じて、第五週前後が一番多い。稀には全く破壊しないでソノ其ママ儘吸収せらるるもの、又は、一時破壊して治癒するもの、若しくは一時治癒して再び破壊し、頑固の潰瘍を生ずるもの等がある。 右の変化は、試験獣が軽く、対照獣が重いのは理のトウ當然で、第一列実験最も良好で、第二列之にツ亜ぎ、第三第四列最も劣るものである。対照獣の更に不良なるは、言うまでもない事だ。 4、淋巴腺腫の比較。股腺は結核感染第一週後には粟粒大から米粒大に腫脹する。尚それから数日後には、同側の鼠蹊腺も多数の腫脹を示す。而して第七代八週後には反対側の鼠蹊腺をも侵してくる。シカ然もこの腫脹は長期間持続するものもあれば、或いは一時縮小して再び腫れてくるものもある。或いは乾酪化して、外面に破壊し、永く潰瘍を残すもの、或いは再び破壊するもの等、各種各様で一定しがたいが、概して栄養佳良の動物は、早く高度の腫脹を呈し、永く持続する傾向がある。殊に経過良好の施灸試獣に著しく、対照獣でも病変軽度にして体重大なるものほど、淋巴腺の腫脹は著名である。之に反し、ルイソウ累痩甚だしく病勢進行の動物に於いては全身リンパ腺の腫脹トミ頓に減少し、或いは全く消失するに至るものである。コレニヨッテ、コレヲミレバ由是観是、高度の淋巴腺の腫脹は、結核のカチョウ佳兆と見るべきもので 淋巴腺腫の吸収には、善悪二種の区別があることを注意しなければならぬ。 5、脾腺腫の比較。 脾腫は結核感染第十六、七週頃、対照獣のほとんど全部に証明しうるもので、甚だしきものは、約三十倍の大きさに達し、全く別物のe観を呈する。また往々にして大出血を起こして中途にヘイシ斃死したものを見受けた。コレニハンシ反之、施灸試獣には生前脾腫を触知しうるものは、極めて稀であった。 平 脾 第一列実験 第二列実験第三列実験 第四列実験 均 腫 重 の 試獣 7.26 g 2.28 g 2.78 g 7.86 g 量 比 較 対照 14.42 g 5.14 g 5.96 g 1.38 g 6、血液所見(イ) 赤血球数並に血色素(ヘモグロビン)量結核感染後、ソノ其反応熱の発する時期(感染後第三周前後)には、試獣及び対照獣共、多少減少し、若しくはソノ其傾向を示して居る。シカ併しこの時期を経過すると、オオム概ね施灸試獣(各列実験共)は対照獣に比し、其増加率は大である。元来、結核症には貧血がつきものである。之は結核菌毒素の作用に基因することは異論の余地がない。従って菌毒素の極めて微量は却て増血の原因となり得ることも予想せらるの所である。我が結核実験に於いて人類に於けるごとき悪性貧血の例証に乏しかったのは、恐らく、海猽カイメイ(モルモット)の如く亜急性に経過する動物では、大貧血を起こすイトマ遑なきためであろう。ことに全経過を通じ、多少とも増血の傾向を持続して居るのは注目すべき現象である。人類にオイ於ても、結核初期には血色素量の増加をしばしば証明する。即ちこの時期に治療を怠らぬことが肝要である。 (ロ)赤血球沈降速度。ウェスターグレン装置を以て検査した。即ち心臓血液4に対し3、8%クエン枸櫞酸曹達液1の割合で混合し、温室内に静置して置くと、赤血球だけ沈殿して血清と分離する。其の上澄み液の高さを読んで、遅速を決定するのである。本実験は解剖時一回だけ検査したものである。 検健モ 第三列(グループ) 第二列(グループ) 第一列(グループ)査康ル時海モ 対 試 対 試 対 試間猽 ッ 照 獣 照 獣 照 獣 ト 1 時0,5 1,72耗 3,0 耗 1,3 耗 1,6耗 2,3耗,5 耗 間 耗 2 時1,0 3,6 耗 8,1 耗 3,4 耗 5,0 耗 6,3耗7,3 耗 間 耗 24 時8,25 13,4 耗 30,6耗 22,0耗 27,8耗 36,8耗34,6耗 間 耗 数 ニ 第 セ 屠 結 セ 屠 結 セ 屠 結 心 三 ル 殺 核 ル 殺 核 ル 殺 核 臓 列 平 直 感 平 直 感 平 直 感 血 実 均 後 染 均 後 染 均 後 染 ニ 験 数 心 後 数 心 後 数 心 後 テ 獣 臓 百 臓 百 臓 百 検 ト 血 九 血 六 血 三 査 同 ニ 十 ニ 十 ニ 十 セ 日 テ 六 テ 七 テ 五 ル 同 検 日 検 日 検 日 平 時 査 目 査 目 査 目 均 間 赤血球沈降速度の遅速は、結核の軽重をボク卜する診断上の参考となるもので、内外諸学者のホボ略一致せる意見は、軽症は遅れ重症は促進し、更にいて著しく遅延するものはヨゴ豫後不良である。今右実験の結果を概観するに、試獣及び対照獣共、健康カイメイ海猽(モルモット)より沈降速度促進し、又試験は第一列の二ジュウ廿四時間目を除く外、各時間共、対照獣より促進せるを認むる。 (ハ)血小板 ヨ予の実験によれば、結核感染後第三週=所謂反応発熱期=の前後三週間は、血小板著しく減少し、感染後第五週頃著しく増加する時期あるも、其後、対照獣は一般に減少し、施灸試獣はオモム徐ろに増加するか、或いは、あまり減少しないで経過するものである。要するに病変甚だしきものは減少し、その経度にして良好のものは増数する結果を得た。(ニ)白血球数及其種類。 白血球は有害のバイキン黴菌をショクジン食盡し、若しくは其の毒素を中和する作用をモ有っている。であるから多くの伝染病では白血球数が増加するのが普通である。しかし又腸チフスの如く、白血球数の減少を来す疾患もある。
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