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孫思邈そんしばく(孫真人)伝 著 今村神鍼

StartFragment 孫思邈(581年~682年)は又の名を孫真人とも呼ばれ、中国唐代の著名な医学者であり養生家である。出身は今の華原で主な著作には《千金要方》《千金翼方》(鍼灸の記載も多い。)等があげられる。  彼は中国古代のあらゆる哲学に通じ、よく老子、荘子等の学説を論じたという。また幼くして患った病のため医学にも通じていた。北周の時、洛州を管轄するとある政府高官は彼が若いが非凡であるとみてこう言ったという。 「これは神童である、才能がこうもあれば官職を得て人に使われるのは難しいだろう。」  その言葉通り、成人してからの彼はどこにも仕官せず太白山に隠遁してしまったのである。  隋の文帝が北周を補佐し朝廷の政治を行っていた頃、国子博士(国立大学教授)の職を彼に用意して招いたがその命に従わなかった。後に彼が裏で親しい者に語ったところによると孫思邈はこういっいっていたという。 「今から五十年後に一人の聖人がこの世にお生まれになる。私はその方に仕えることとなろう。」と。

 唐の太宗が即位された頃、当時の都である長安に招待されたが、彼はその頃年老いてはいたが聴覚は研ぎすまされ、視力もはっきりしていた。 その席で唐の太宗が彼を見てこの様に賞賛し語ったという。

「見た所まったく老いを感じさせない、本当に養生(長寿)の術を備えた御仁である。朕も何とかこれにあやかりたいものじゃ。」  その後太宗は彼に官位を与え、用いようとしたが孫思邈はこれを受けなかった。  唐の高宗の時代になって朝廷は彼を諫儀大夫(皇帝に意見を述べる官位)に任官させようとしたが彼の決意はかたく体よくことわられてしまった。唐の上元元年になってから孫思邈が体の調子を崩したと称して太白山に戻ることになったとき、高宗は彼に良馬を与え更にの王女の旧宅に彼を住まわせた。  孫思邈そんしばくは陰陽論、易学、医薬など、どれについても長じていない物はなかった。よって弟子の廬照鄰ロショウリンなどはすべて彼を師として崇めていた。  廬照鄰がある時体を悪くしてなかなか治らない事を不思議に思い、孫思邈にこうたずねた。 「高名な医者はどの様に疾病を治療するのでしょうか。」  それに答えて孫思邈曰く。 「天には四つの季節と五行があり、寒気と暑気がお互いに交流しているのは知っておろう。天地の陰陽の気がほどよく合わさり降下して雨となり、またそれが怒りくるったように激動するなら風となり、また集まり凝固したならば霜や雪となり、また張りつめて広く散布されたなら虹となる。これ等はそれら自然界の法則ともいえるものじゃ。これ等と同じように人間の四肢や五臓は言うに及ばず、起きたり眠ったりすること、またその呼吸や営衛の気の流注の状態の善し悪しは顔の色つやに現れる。また体外に洩れだすものは五声として空間に響きわたるもので、これは人体における自然界の法則であるともいえる。

 よいかな、また陽の現れは目で見える具体的な形状である。陰の現れは調べて知ることのできる性質や効能であるといえる。これ等は自然界も人間もまったく同じ法則が適用されるのじゃ。   人体において陰陽の失調が起こると陽気が鬱して蒸されて熱をともなう病気を引き起こす。また陰が陽を閉じこめたなら寒の病となる。気血があるところに溜まり結ばれたなら腫瘤となる。気血が下陥すると皮膚病になりやすい。また気の運行が狂うことが甚だしければぎ叫びまわり疲れはてたようになる、気虚が極まったなら人の身体や外見は枯れたようになる。これ等のことは全て人の外見から見て取れるものなのじゃ。  天と地すなわち自然界のこともこれと同じじゃ。五星の運行の乱れは彗星を生み、これは天地の気が不安定になった証拠で天災の前兆である。  また寒と暑の気が時間通り交替しなければこれは天地の気が蒸され詰まっていると言うことである。  さらに岩石が切り立って土が盛り上がっているのは自然界における腫瘤でありである。山が崩れたり地面がくぼんだりしているのは自然界の皮膚病である。(古代中国のガイア思想か)暴風雨が起こるのは自然界の喘ぎ叫び疲れはてた声である。川が枯れ果てるのは自然界が熱せられ乾き枯れはてたものである。  よって高名な医者は鍼灸や漢方薬を用いて、これら人体の気の不調和を治療することができ、聖人は徳と仁のある政治力をもってして自然界の不調和を正し、人々を災害から救うことができるのである。」  又廬照鄰ロショウリン、がこう尋ねた。 「孫先生、ではお伺いしますがこの浮き世、社会のことはどの様に対処したらよいのでございましょう。」 孫思邈はいう 「心は君主の官である。「王様」は他人に対して恭しく謙虚であることを重んじる。よってよくよく用心することが必要である。」《詩経》は言う「深淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し」これが言っているのはつまり謙虚に諸事に注意し、よくよく用心せよということである。

 さて肝胆は「将軍の官」である。果敢に決断するのが職務である。よって彼らに対するには諸事に大胆さが要求される。《詩経》は言う「ゆうゆうたる武夫は、公候の盾と城」この言っている意味はすべてに大胆であれということである。

 次に「仁」とは静かで落ちついている事であるがこれは地の象徴である。よって物事を正直にきっちりすることが要求される。《左伝》は言う「利に回らず、義に窮さず。」これの言っている意味は正直であれということである。  さて「智」とは常に動いているものである。これは天の象徴である。天気や暦によって融通を利かせ、物事がすんなり運ぶようにすることが要求される。《易経》の中には「機を見ておこなえば一日中待つことはない。」という言葉があるが、この意味は智恵をもってタイミングを計り諸事融通せよということである。

 廬照鄰、がまた養生の要点について質問した時、孫思邈は答えて曰く、 「天に虚が満ちるという変化があり、人間の安定した生活が脅かされる時、自らが自らに気をつけ養生していなければ、事に当たってそれを救う事はできないということじゃ。よって養生とはまず自らを慎むということを知る事であると言える。自ら慎み励むということは全てのものを敬うということであろう。よく聞けよ。  つまり知識人が人間を敬うことを知らなければ(重視しなければ)仁と義という概念は荒廃し、農夫が天気や自然を敬うところがなければ(重視しなければ)種は尽き農作物は枯れ果ててしまう。あたりまえじゃ。  次に職人が寸法というものを尊重するところがなければ公定の定規や巻き尺を軽視するようになる。すると建築物が倒れる。また商人が財貨を敬わなければ(重視しなければ)商売は傾き利殖はできない。そうじゃろ?  さらに家庭の子女が父母を敬わなければ孝行の道理は忘れられ、父母が自分の子女を大切に思うところがなければ(長所を認めなければ)慈愛の情を捨てるにも等しいというものじゃ。

 また例えば臣下が上司を敬うところを知らなければ立身出世はできず、王様が国家というものを敬うことを知らなければ混乱を引き起こし国政は太平を欠く。凡そこういうことなんじゃ。  よいかな。そこでこの世で最も賢い人々はいつもまず道(道教の)というものを敬っておるといえる。そのつぎには天を敬っておる。其の次には自分以外の自然物を敬い、其の次には人様を敬っておる。其の次にやっと自分自身を敬っておるのじゃ。  自分自身がこれらを敬うところがあれば、他人からの制約や束縛を受けるはずがなく、小さなことに慎みを持って対していれば、大事に際しても何も恐れることはないというものじゃ。  また近き事に用心していれば遠き事に怠慢であったり軽い気持ちを持ったりする事はないはずである。  おぬしがもしこの道理が理解できるなら、人間の身体の養生法もまたこれに同じということがわかるというもんじゃよ。」  当初歴史家が斉、梁、陳、周、隋の五王朝の歴史を編纂したとき多くの異聞や言い伝えを聞いた。その中でも孫思邈に関する物が一番多くあったという。彼は高宗の永淳初年に亡くなったが、聞くところによると百数才であったという。残された家族は簡単に葬儀をすませ墓の中には冥器(あの世で使う品物)などは入れず、また葬儀に際しては豚、牛、羊等を供えることすらしなかったという。  また孫思邈の鍼灸に関する記述はその著作《千金要方》に多く見られる。例えば巻の29に阿是穴の記載がある。またこれにはすでに失われた唐代の鍼灸の名著、 《甄権針方》《明堂人形経》《甄氏・針経鈔》などの記載が保存されており、また、扁鵲へんじゃくなどの鍼灸治験も残されており、これは唐代の鍼灸医学、養生学の重要な古典書であると言える。EndFragment

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